A 美術史講座「イタリア・ルネサンスの美術 時代と〈時代を超えたもの〉」

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A 美術史講座「イタリア・ルネサンスの美術 時代と〈時代を超えたもの〉」

ルネサンス(Renaissance)は「再生」を意味するフランス語で、主に15~16世紀のイタリアにおいて古典古代、すなわち古代ギリシアおよびローマの文化と芸術が復興された現象を指しています。『美術家列伝』(初版1550年、増補改訂版1568年)の略称で知られるジョルジョ・ヴァザーリ(Giorgio Vasari)の大著において同義のイタリア語リナシタ(Rinascita)が用いられている通り、この現象の意義はルネサンス期のイタリアにおいてすでに深く自覚されていました。古典古代を継承した哲学や思想全般、建築、そして彫刻が本格的に栄えたのは15世紀に入ってからですが、これと不可分である「自然と人間の価値の再発見」は聖フランチェスコが活躍し美術ではピサーノ親子、次いでジョットが活動を開始した13世紀に萌芽が見られ、絵画においてはこのジョット(Giotto 1267頃~1337)が原点に位置しています。この講義ではこの時期から(バロック美術が生まれる)16世紀末までのイタリア美術の展開を時代順に紹介しますが、西洋におけるもう一つの美術中心地だったフランドル(現ベルギー)美術との関係や同時代の音楽との比較も頻繁にとりあげる予定です。
※お好きな回のみをお申し込みいただくことも可能です。
※終了した回は動画で受講していただくことが可能です。

講座概要

講座名
A 美術史講座「イタリア・ルネサンスの美術 時代と〈時代を超えたもの〉」(全6回)
受講方法
Zoomオンライン
講師
高橋達史
曜日・時間
日曜 19:00-21:00
日程
2024/4/7 6/2 7/7 9/1 10/20 11/17
受講料(税込)
全6回 20,000円
各回 3,500円
アーカイブ動画
あり 視聴期間2025年3月31日まで

各回のテーマ

第1回(4/7) ジョットとルネサンス絵画の始原  
中世絵画には見られなかった現実観察と三次元性の復活によって、絵画の可能性はどのように広がったのでしょう。

第2回(6/2) マザッチョとイタリア初期ルネサンス美術  
古典古代には存在しなかった一点消失遠近法(透視図法)が誕生します。その意義、また「影の発見」が絵画にもたらした功罪を考えてみましょう。

第3回(7/7) 盛期ルネサンスの三大巨匠を比べる(1)レオナルド・ダ・ヴィンチとミケランジェロ
写実的絵画の全盛の中、レオナルド・ダ・ヴィンチとミケランジェロは現実を超えた神秘性と美を追求し続けました。その対照的な芸術観を比較してみましょう。

第4回(9/1) 盛期ルネサンスの三大巨匠を比べる(2)3人の巨匠と後世へ及ぼした影響
正反対の特質を備えたレオナルドとミケランジェロ。その統合を成し遂げたのがラファエロです。そこにはどのような意義あるのでしょう。また続く世代に及ぼした三者三様の影響力についても考えます。

第5回(10/20) ティツィアーノとヴェネツィア派絵画  「音楽の状態を志向する美術」の流れ
ヴェネツィア派の巨匠ティツィアーノは、イタリア美術の「本線=フィレンツェ→ローマ」とは異なる歩みを見せつつ、バロック期以降の西洋絵画に三大巨匠以上の影響力を及ぼしました。

第6回(11/17) ティントレットとヴェロネーゼ 16世紀後半のヴェネツィア派絵画の諸相
バロック絵画への道を準備したティントレット、ロココ絵画の原点となったヴェロネーゼを中心に、ガブリエーリが活躍していた時代のヴェネツィア絵画をみていきます。

※終了した回は動画で受講していただくことが可能です。

講座内容詳細はこちら

講師プロフィール

高橋達史(たかはし・たつし)
高橋達史(たかはし・たつし)

青山学院大学名誉教授。1951年東京生まれ。東京大学文学部卒、同大学大学院とアムステルダム市立大学で西洋美術史を学ぶ。東京大学助手、東京経済大学助教授、青山学院大学教授を歴任したのち2020年3月に定年退職。17世紀オランダ絵画を中心とするフランドル・オランダ絵画史、とりわけ風俗画から出発したが、現在では関心が13〜14世紀と19世紀の双方向に大きく拡散している。著書(すべて共著)は『歴史画』(集英社)、『フェルメール』(中央公論社)、『レンブラント』(朝日新聞社)など。音楽図像学の分野での論考には「音楽図像学への誘い」(『季刊コンソート』1987-89年)、連載「音楽家のイコノロジー」(『ListenView』1989-91年)、連載「オーケストラから締め出された楽器たち」(『春秋』2000-01年)、「沈黙の音楽が語るもの 17世紀絵画における楽器のシンボリズム」、「オルフェウスの遺産 -絵画に見る〈音楽の慰め〉」(ともに1988年)、「毎日が日曜日、もしくは絵空事の農村像 《農民カンタータ》の美術史的背景」(1998年)、「〈絵に描いた笛〉のメッセージ」(1999年)などがある。2005年10月の日本音楽学会シンポジウムでは「複製版画と印刷楽譜」の発表を行った。

受講方法

※この講座は、Web会議システム Zoom(ズーム)を使ってオンラインで開催いたします。受講にはインターネット通信環境とパソコン(マイクとカメラ使用)あるいはスマホやタブレット(Wi-Fi推奨)が必要です。資料を示しますので大きめの画面が望ましいです。なおZoom講座は録画して受講者に配信いたしますので、当日欠席されても後日ご覧いただくことができます。
※お申し込み受付後、受講方法、資料などを記載したメールをお送りいたします。お申し込み後2日以上たってもメールが届かない場合は、恐れ入りますが事務局までお問合せください。

講座内容詳細

第1回 ジョットとルネサンス絵画の始原
ジョット(Giotto 1267頃~1337)の時代にとどまらず続く15世紀においても古典古代(ギリシア&ローマ)の絵画はほぼ全く知られていませんでした(ポンペイとヘルクラネウムの発掘が開始されたのは18世紀前半です)。それにもかかわらずジョットの絵画がルネサンスの原点とされるのは、現実性を特徴とする彼の絵画において、ともにギリシア・ローマ美術においては一般的だったもののその後の中世美術において等閑視されてきた「人間らしさ、もしくは人間の価値」と「自然」に対する関心の深まりが顕著に認められるからです。この講義ではジョットに先駆けて彫刻において古代ローマの浮彫の伝統を復活させたピサーノ親子(Nicola Pisano 1220/25~84、Giovannni Pisano 1250頃~1315頃)、ジョットの師匠と見なされヴァザーリ『美術家列伝』の冒頭に置かれたチマブーエ(Cimabue 1240頃~1302)、ジョットとともに音楽における「アルス・ノヴァ ArsNova」の時代の絵画を代表するシモーネ・マルティーニ(Simone Martini 1284~1344)の意義、および北方への影響についてお話しします。

第2回 マザッチョとイタリア初期ルネサンス美術
レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロが揃って活躍した16世紀初頭の「盛期ルネサンス(High Renaissance)」に対して「初期ルネサンス(Early Renaissance)」と総称される15世紀のイタリア美術の流れを概観します。15世紀前半における三大巨匠、すなわち建築家フィリッポ・ブルネレスキ(Filippo Brunelleschi 1377~1446)、彫刻家ドナテッロ(Dinatello 1386頃~1466)。画家マザッチョ(Masaccio 1401~28)は揃ってフィレンツェを中心に活動しました。デュファイやオケゲムの時代のイタリア美術を先導し続けたのは毛織物産業と金融業で潤う中部イタリアのフィレンツェでした。夭折したマザッチョはジョットの伝統の後継者でありかつミケランジェロの芸術の源流と位置付けられる画家で、陰影を駆使した彼の絵画において「現実性」のレヴェルが飛躍的に向上したのは確かです。今回はこのマザッチョの意義を同時代のフランドル絵画の頂点に立つファン・エイク兄弟のそれと比較するとともに、彼の影響下に画風を大きく変換させた修道士画家フラ・アンジェリコ(Fra Angelico 1390/95~1455)、および15世紀中葉の代表的画家ピエロ・デラ・フランチェスカ(Piero della Francesca 1412~92)の極めて知的な絵画を論じます。

第3回および第4回 盛期ルネサンスの三大巨匠の比較考察
いわゆる三大巨匠のうち最年長のレオナルド・ダ・ヴィンチ(Leonardo da Vinci 1452~1519)と最年少のラファエロ(Raffaello 1483~1420)の生年には一世代の差がありますが、ラファエロが夭折しため没年は一年しか違いません(さらに1年遅れてジョスカン・デ・プレが亡くなっています)。この二人に加えて極めて長命のミケランジェロ(Michelangelo 1475~1564)が揃って活動した15世紀末以降の約30年間こそがイタリア・ルネサンス美術の絶頂期だと長く信じられ「盛期ルネサンス(High Renaissance)」と呼ばれてきました。教皇庁の権威の復活とともにイタリア美術の中心地がフィレンツェからローマに移ったのがこの時代でした。揃いも揃って天才中の天才である3人ですが持ち味はそれぞれ異なり、特にレオナルドとミケランジェロは芸術的価値観そのものからして正反対でしたから仲が悪いのも当然でした。最も若いラファエロの最大の強みは吸収消化力にあり、正反対の特質をもつ先輩二人の芸術の総合化に成功し、3人のうちで最も生産性豊かに活動したばかりか後に次々と設立される美術アカデミーにおいて最上の手本として崇め続けられます。3者の個性がどう異なるかを2回にわたって考察しますが、第3回にはレオナルドの芸術の特質を理解してもらうために5歳年長のボッチチェリや同時代のフランドル絵画との比較を行い、第4回にはフランドル絵画との覇権争いを制したイタリアが西洋美術の中心地として揺るぎない立場を築いた経緯を考察します。

第5回 ティツィアーノとヴェネツィア派絵画 ―「音楽を目指す美術」の流れ
「三大巨匠」のうち美術教育で「究極のお手本」とされたのはラファエロでしたが、実は盛期ルネサンスおよびそれ以降のイタリア画家の中で後続世代の各国の画家たちに最も大きく永続的な影響を及ぼし続けたのはヴェネツィアの画家ティツィアーノ(Tiziano 1488/90~1576)でした。リュベンス、レンブラント、ベラスケスといったバロック期の巨匠たちだけでなく、19世紀のドラクロワやマネに至るまで、ティツィアーノが改革した新機軸の油彩技法を自らの出発点に選んだ画家は枚挙に暇がありません。それにもかかわらずヴェネツィア派の絵画が傍流と見なされがちだったのは政治的理由もありますが、デッサン(かたち)を基本とするフィレンツェやローマの絵画と対照的にヴェネツィア派の特色は色彩(音楽に例えるなら音色)にあるが、絵画芸術においてより本質的なのはデッサン力だと考えられてきたからです。19世紀後半のイギリスの唯美主義者ウォルター・ペイター(Walter Pater 1839~94)の格言「あらゆる芸術は音楽の状態を志向する」が登場したのは「ジョルジョーネ派」においてでしたが、今回はティツィアーノの先輩であるそのジョルジョーネ(Giorgione 1477/78~1510)や、さらに先達のジョヴァンニ・ベリーニ(Giobvanni Bellini 1430頃~1516)以降のヴェネツィア派絵画の流れとその意義についてお話しします。

第6回 16世紀後半のヴェネツィア派絵画 ティントレットとヴェロネーゼ
レオナルドとラファエロの没後のフィレンツェやローマなどイタリア各地で「マニエリズモ(Manierismo)」と呼ばれる現実観察から遊離した奇矯な知的絵画が流行しますがヴェネツィアだけは例外でティツィアーノの画風が形象発展されてゆきます。中でも美術史上の意義の大きさにおける双璧はティントレット(Tintoretto 1518~94)とヴェロネーゼ(Veronese 1528~88)でした。ともにティツィアーノの芸術から出発したものの二人の個性には大きな相違があり、劇的な演出と暗い色彩を好んだティントレットが17世紀のバロック絵画の源流となっているのに対して、瀟洒な中間色の取り合わせを特徴とする華やかなヴェロネーゼの作品は18世紀フランスで流行したロココ美術の原点となっています。二人が競うように活躍した16世紀後半は音楽においてはパレストリーナ―没年はティントレットと同じ1594年―や同じヴェネツィア派の二人のガブリエーリの時代、そしてモンテヴェルディの台頭の直前の時期でした。宗教美術の世俗化をめぐる諸問題やカトリック教会の対抗宗教改革とその美術に対する影響についても取り上げます。